「苦手」との対話が自己肯定感を少しずつ取り戻す
学生時代に植え付けられた「出来ない」意識
橋本です!
以前、ブログ記事にも掲載したこともあったかもしれませんが、僕は中学高校がいじめられっこでした。
早生まれで身体も小さく、色白で天然パーマのもやしっ子。まあ、絵に描いたようないじめの対象ですよね。
「あ、自分いじめられてるな」という自覚が始まったのは、中学2年生くらいの頃でした。
中学生~高校生の男子って成長期なので、ものすごい勢いで大きく大人っぽくなっていく子っているじゃないですか。でもその「急激な伸び」には個人差があって、2月生まれの僕なんかはとりわけ成長が遅い方でした。
多分僕、本当に遅い方だと思うんです。身長が伸び出したのは高校を中退した17歳とかからでしたし、学校にいた頃は「もう大人になれないんじゃないか」って真剣に悩んでいたくらいです。
早生まれだけが原因ではなかったと思いますが、僕は本当に心身の成長が遅く、周りと比べてもかなり幼稚な方だったと記憶してます。
そんな僕がいじめられるきっかけになったのは、体育の授業でした。
体格差がモロに出るじゃないですか。陸上や体操みたいに個人でやる競技だったら、どんくさい奴ってだけで済んでたんですけれども、サッカーやバスケットボール、バレーボールのような集団でおこなう球技が、僕にとっては地獄そのものでした。
体格も小さいし、考えも稚拙だったので、集団競技になるとてんでダメで、周りの足を引っ張りまくり、次第にクラスメイトから「穴」と呼ばれ、集中攻撃をされたり、暴力的なプレーやあざけるようなプレーを目の前でされてからかわれるようになってきました。
当然クラスメイトはそんな僕と一緒のチームになりたいはずもなく、チーム分けが始まると僕はいつも最後まで残る人に。それも「いるいらない」でいらない方に押し付けられる感じでした。
学校はこういうところに逃げ道が全くないですよね。体育の教師は、授業を淡々と進めますし、休んだら当然成績は下がります。体育がきっかけでクラス内でも僕の立場はドンドン悪くなり、孤立することが目立つようになってきました。
中学校では2年の途中くらいからそのような状況になったものの、卒業までの1年は何とか耐え忍びました。
高校に進学し、一旦関係性はリセットされて1年生の途中まではそれなりに上手くやってましたが、やはり1年生の夏休み明け頃から、似たような理由からいじめは始まっていきました。
直接的な暴力はもちろん、外靴を盗まれる、貸していたゲームが返されない、時計などの所持品を壊される、ジュースを人数分買いに行かされる、授業で使うプリントや情報が僕にだけ回ってこない・・・etc. etc.。
両親は会社経営をしており共働きで僕の学生生活には全くの無関心。夫婦同士も、親子同士も険悪だったので、僕は居場所を失ってしまい、高校2年の夏休みに函館市に住んでいる叔母の元へ避難。一旦札幌に連れ戻されましたが、長続きはせず高校を中退し、ワンルームのマンションと仕事を見つけて家を出るという選択肢を取って、僕を脅かすものから逃げ出すという決断をしました。
今でも思います。
義務教育で行われる体育の授業って、メチャクチャ残酷ですよね。
3月生まれの子は、体格や知力体力が4月生まれの子と比べると丸々1年もビハインドですし、習い事や親の方針で運動能力を鍛え上げている子と、家でゲームばかりしている子や運動機会が親から与えられていない子は、時代的にも自ら進んで運動する機会を取り入れるのはなかなか、というかかなり難しいことだと考えています。
そんなバラツキのあるこどもたちが、授業の一環という逃げ道のない場所で集団の中、自分の物理的な強さ弱さを晒されて、おまけに「成績」という評価・順位付けまでされるんです。
体育で活躍できない子、運動音痴なことを周りに知れ渡られてしまった子が、授業の後どのようにクラスで見られどのような扱いを受ける可能性があるか、想像するのは難しくないことだと思います。
勉強の成績は、まだあまり見えづらいじゃないですか。でも、運動能力は「モロ」なんです。
だから僕はその先の人生でボールを扱う集団競技にトラウマを覚えました。サッカーや野球をする誘いを受けても基本的には断ってきましたし、そもそも僕は海外に出て数年間日本人とほとんど関わらない生活を続けていました。
そんな僕でしたが高校を辞めて、一人暮らしを1年程続け、その後父の勧めで海外・オーストリアのウィーンという国で過ごしたことが僕の自己肯定感の転機となりました。
全く分からない言葉(ドイツ語)をゼロから勉強し始め、転生して全てをリセットしたように「生き直し」が始まりました。
その時に出会った人たちの暖かいご縁に恵まれたことと、欧米の気質だと思われる「個人主義」、君は君、僕は僕、という考え方、人と違う選択をしても特に誰も不思議に思わず干渉もしてこないメンタリティが、僕にとってはとても居心地の良いものでした。
「生き直し」をきっかけに、僕は一念発起して猛勉強と身体のトレーニングを始めました。
語学はもちろん、現地の学校に入り直して学歴を更新し、年に2~300冊の本を読みこむ「本の虫」に変貌。本があれば孤独にも耐えられたし、不必要に群れる必要がなくなることを学びました。
中高でやっていたバドミントンをやり直し、全国大会にも出場。「ナメられないため」に、キックボクシングも習い始めました。
中高時代は見向きもされなかった異性からも、少しは関心を持たれるようになり、少しずつ僕は最底辺だった自己肯定感を高めていくことができるようになってきました。
海外留学を終えた後、東京のビジネススクールに通っている間は、バーテンダーとして「喋る技術」を学び、対人コミュニケーションについてオンザジョブトレーニングを始めました。
卒業後は営業職を転々とし、トータル500万円以上の借金と引き換えに能力開発のセミナーや教材を買い集め、今の仕事の基盤となる知識や考え方を学ばせていただきました。
サラリーマン最後の3年間は「能力開発コンサルタント」として、クライアントの自己実現をお手伝いする仕事に従事。僕は最底辺の自己肯定感から、何とかここまで「再生」できた経験があったので、たぶん説得力のある話をお客様に伝えることができたんだと思います。
その経験を経て自営業者になり、7年後には今の会社を創業して完全独立。経営者として12年のキャリアを経験している間に結婚し、子どもを授かることもできました。
もちろんその間にも、この記事には書ききれないほどのドラマや苦労、喜びと辛酸などがありましたが、振り返ってみると僕は自分が成熟していくための貴重な経験を沢山させてもらい、多くの方々に導かれて、今ここに立てていることを感謝と共に過ごしております。
息子が義務教育に上がったら
息子が小学校に上がる半年前。
僕は息子の義務教育期間という逃げられない環境の中で、僕のような苦労や屈辱感を味合わせたくないと思い、サッカーを習わせることにしました。
みんなでやるスポーツが、みんなより少し上手にできて、それが友達作りのきっかけになればいいな、という軽い気持ちでサッカーをやらせたんです。
ところが去年の4月。息子が小学校にあがったとき、その時に通わせていたサッカースクールが土日の練習は小学生はないことを知って、別なサッカークラブを探すことにして見つけたのが、息子の通う小学校を拠点にやっているサッカークラブでした。
小学校でやってくれるなら通わせやすい、と体験に連れて行ってみたら、なんとそのサッカークラブは前道大会常連のメチャクチャガチの強豪クラブだったんですよね。
サッカーかじった程度の息子が、果たしてついていけるのか、最初は不安でしたが、1年半経った今も何とか一生懸命ついていっています。
サッカークラブの練習だけでは足りないので、スクールに通わせたり、夕食後や土日の時間を使って一緒に練習に付き合うことになりました。
中学高校の頃、僕が取り分け苦手意識とトラウマを感じていたのが、このサッカーでした。
敵味方合わせて21人(11対11ー僕)からバカにされ、なじられ、フィジカル差でぶつけられ、体育の授業の後はそれがきっかけで教室でも居場所を失うことになった、僕にとっては忌まわしい記憶を呼び起こす最高クラスのメンタルブロックがサッカーでした。
遅れてきた成長期や、バドミントン、キックボクシングなどのトレーニングを経て、身体の強さや足の速さには20歳くらいから何とか自信を取り戻してきたんですが、球技・特にサッカーだけは息子が小学校に上がった40歳当初も、苦手意識の払しょくはできませんでした。
でも、息子がこのクラブについていけなくなって、自己肯定感を喪失するきっかけになったり、運動に苦手意識を感じるようになってしまっては、元も子もありません。
逃げ道のない義務教育の期間に、運動がきっかけで辛く苦しい思いはしてほしくない。だから、僕は僕の中の「最強」のメンタルブロック=サッカーに挑むことにしました。
サッカーの知識も何もなかったので、まずはド定番のリフティングを、毎日ほとんど欠かさず練習をするようにしました。息子が自主練をしててもしなくても、僕がまず「やってる背中」を見せること。とにかく暇さえあればリフティングをし続けました。
中学高校いじめられっこ、運動神経からっきしの男が、40歳でサッカーを始めた結果・・・。
1年半で580回、リフティングが出来るようになりました。(回数は現在も更新中)
他のスキルはまだまだ全然ですが、リフティングは綺麗にできるようになってきました。とりあえず1000回を目指してます。カッコ良くないですか? 「40歳から息子と一緒にサッカーを始めて、リフティング1000回できるようになった」称号。笑
上手くなったら練習するのも試合に関わるのも楽しくなってきて、DAZNを契約して欧州の試合を観戦したり、関連本を何十冊か読んで1年半でそれなりに業界のことが分かってきました。
そうやって僕の中の「最大級」のメンタルブロックは現在進行形で薄らいでいって、親子でサッカーというスポーツを楽しめるようにまでなれました。
メンタルブロックと付き合っていく
たぶん、皆さん誰の中にも過去のツライ思い出が原因のメンタルブロックは、大小何かしらはあるんじゃないかと思います。そして時にそれは、生きていく上で最も大切な「自己肯定感」を脅かし続け、自分を苦しめる原因になっている方もいるかもしれませんね。僕は少なくともそうでした。
メンタルブロックを外してゆく方法の一つは、人生の中で何年か先になってもいいですし、他に優先すべきことを片付けてからでも構いません。小さなことでも良いからそのメンタルブロックに向き合う機会を自分に作ってあげることだと考えております。
メンタルブロックに向き合う体験は、過去の自分や出来事を「赦す」きっかけになるはずです。「あのときはできなかったけど、今こうして改めて自分に向き合ってみると、あの頃はあの頃で自分にできることを精一杯やっていて、その結果だったんだな。仕方なかったんだな」という言葉を、僕は自分にかけてあげることができるようになりました。
いじめが起こる原因は、科学的に判明したそうなんです。
いじめが起こる原因は、「たまたま」です。被害者が一方的に悪いわけでも、加害者が一方的に悪いわけでもない。環境のせいでもなければ親のせいでもない。偶然、というかある一定の可能性で起こってしまう現象なんだそうです。
【現象】ですので、働かない働きアリを取り除いても、働いていたアリが働かなくなるように、いじめられっ子やいじめっ子がその環境から排斥されても、一定の可能性でいじめは再発します。いじめという【現象】を根絶するのは不可能である、という結果だそうです。
だからいじめ当事者が逃れるための唯一の手段は、「環境を変えること」。これに尽きるそうで、僕はこの「科学的結果(覆されるかもしれないですが)」に、経験上強く賛同いたします。いじめの原因究明も再発防止も当事者にとってはあまり意味がありません。自分を脅かす場所からの「即時撤退」が最も効果的な方法であると僕は考えております。撤退は生きるための戦術です。恥ずかしいことでもなんでもありません。
メンタルブロックは簡単には外せませんし、外すまでの長い時間もかかりますし、トラウマのような負の思い出がいつまでも自分を苦しめることさえ起こりかねます。
メンタルブロックがどの方面にも全くない方は恐らくいないでしょうし、メンタルブロックを少しずつ外してゆくプロセスは、人間的な成長にも繋がります。
そういう「諸刃の剣」であることをまずは理解し、この扱いの難しいメンタルブロックというモノと長い人生で向き合っていく術を、このブログでお伝えしたいと思いました。
ではまた次回!
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