今回は、発達障害の当事者2名による対談をお届けします。
最近はインターネットだけでなく、テレビや新聞などの一般的なメディアでも発達障害について見聞きすることが増えてきました。著名人が自身の発達障害について告白する記事や動画を見かけることもあります。
そうした情報を見て「自分は発達障害ではないか」あるいは「自分の子どもは発達障害ではないか」と、不安に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
人は誰しも「自分がよく知らないものごと」については不安を感じるもの。当事者同士のリアルな事例を知ることで、理解が深まり、誰かに相談するなど「次のステップ」を踏み出したりするためのお力になれれば幸いです。
第1回は「自分の障害に気がついたのは、いつ・どのようなきっかけだったのか」をテーマに、対談をおこないました。
なお本記事は当事者同士の対談のため、発達障害に関する用語でお分かりになりづらい部分があるかもしれません。「大人の発達障害」について詳しく知りたい方は、以下のコラムもご参照ください。
対談者紹介
とり(デザイナー 兼 イラストレーター)
24歳のときに注意欠如・多動性障害(以下、ADHD)の診断を受ける。タイプは“不注意優勢型”。
注意の持続や切り替えに困難を感じる事が多く、「忘れ物や失くし物が多い」「周りの音が大きい状況だと話の内容をうまく聞き取れない」などの困りごとがある。
現在は、福祉系のベンチャー企業でデザイナー兼イラストレーターとして働く。
二次障害として“起立性低血圧”があるため、職場と合理的配慮の調整を行い、ほぼ在宅で勤務できるようにしてもらっている。特性対策として、デスクにパーテーションを設置したり、カフェイン成分の入った飴やコーヒーを摂取したりして、集中力をコントロールできるよう工夫している。
※本記事の挿絵イラストは、とりさんが制作してくださったものです!
藤森ユウワ(ライター・編集)
36歳のときにADHDと自閉症スペクトラム障害(以下、ASD)の診断を受ける。
子どものころから「コミュニケーションが苦手」「段取が悪い」「集中力が続かない」などの困りごとがあり、社会人になってからも生きづらさを感じつつ何とか働いていたが、あるとき仕事内容が大きく変わったことがきっかけで困難が表面化し、休職や離職を経験。
現在はベンチャー企業の社員として働きながら、兼業で個人事業主としてもライター・Webディレクターとして活動。自分の凸凹を補うためにITツールを使って工夫するのが好き。
環境が変わって「どうにかごまかせていた」ことが困難になり気づく
とりさんが「もしかして私、発達障害かも…?」と、初めて気がついたのはいつでしたか?
私は大学生のときでした。インターネットで発達障害に関する記事を見かけて、書いてあることが「これはもう、私のことだ」って。
でもその時点では「自分の困りごとの原因って、発達障害だったんだ」くらいにしか思ってなかったんです。たしかに困りごとはいろいろありましたが、学生時代は「どうにかごまかせていた」という感じでした。
私も、とりさんと順番は違いますが状況は似ています。
36歳で転職して仕事の内容がガラッと変わったことで、転職する前は「どうにかごまかせていた」ことが通用しなくなってしまったんです。
上司から何度注意されても改善できないし、中途で即戦力として入ったのに期待に応えられないプレッシャーもあり、心身ともに疲れ果ててしまって。
そんなときにふと目にとまったのが、芸能人の方がご自身の発達障害について打ち明けているインターネットの記事でした。読んだ瞬間に「これはもう、私のことだ」と。
わらにもすがる思いですぐに病院を受診しました。病院に行けば助かるんじゃないかって思ったんです。
私も「発達障害の診断さえ受ければ、今のこの苦しい状況が改善できるだろう」って、診断=免罪符みたいなものだって思っていましたね。
そう、まさに免罪符。「仕事ができないことは自分が悪いんじゃない、発達障害のせいなんだ」っていう。
でも、たとえ障害があり苦手な仕事があったとしても、「じゃあ自分はどんなことなら会社に貢献できるのか」というものを見つけ出さなきゃいけない。給料をもらうためには、その対価として自分が何か価値を提供しなきゃいけないって、よくよく考えれば当然なんですが、当時はそこまで考える余裕がありませんでした。
メンタルが落ちているときに、冷静には考えられないですよね…。
しかも会社が、必ずしも発達障害の知識や理解があるとも限らないですし。私は診断を受けたことを会社に相談した後の方が、理解が得られず辛かったです。
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