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『君たちはどう生きるか』はなぜ鳥が主役だったのか?インコ・ペリカン・青サギ…異質な世界観を読み解く(やきう民解説)
🐣 はじめに:異世界で一番目立ってたのは、実は“人間”やなく“鳥”やった。
宮崎駿監督『君たちはどう生きるか』には、人間、精霊、ワラワラ、謎の存在がいっぱい出てくる。
けどその中でも、**特に「異様な存在感を放ってた」のは“鳥たち”**やな。
- 喋るインコが軍隊組んで世界を支配しとる
- ペリカンがワラワラをむさぼるように食べとる
- アオサギが化けて人間を誘導してくる
いや、これもはや異世界やなくて“鳥界”ちゃうんかってぐらい、鳥が主役級の働きをしとるんよ。
🦜 インコ大王とその一派=「まがい物の知性」の象徴
👉 インコたちは、「人間になろうとしてなりきれなかった存在」。
これはつまり、“形だけ整えた社会”のメタファーやと思う。

中身がないのに支配したがる、現代的な空虚な権力構造そのものやな。
インコたちは、服を着たり、しゃべったり、道具を使ったりしてる。
でもそれ、本物の人間社会の“まがいもの”みたいやったやろ?
わいはここに、宮崎駿の皮肉が込められてると見てる。
あのインコの王国は、今の「空っぽな、承認欲求だけが膨らんでいる社会」なんやないか?
──なんか、中身の薄っぺらな情報がさもこの世の真理のように駆けまわったりとか、誰かの真似だけで回ってるSNSとか、現代社会のパロディなんやないか?
🦤 ペリカンたち=「むき出しの生命力と欲望」
それに対して、ペリカンはどうや?

- 群れて飛ぶ
- 食う
- 感情も理性も感じられない
- ワラワラ(生命のかけら)を容赦なく飲み込む
これはまさに、“命のやりとりの世界”。
情けも秩序もへったくれもなくて、ただ生きるために食う。
ほんまに自然界の「捕食」の本能を体現しとる存在や。
👉 つまりペリカンは、**「本能そのままの世界」**を象徴しとるんやないか?
🧠 インコとペリカン=「知性の暴走」vs「本能の暴走」
ここで見えてくる構図がめちゃくちゃおもろい。
| 鳥の種類 | 象徴してるもの | 状態 | 世界観 |
|---|---|---|---|
| インコ | 模倣された知性 | 外見だけ整ってる | 偽りの文明 |
| ペリカン | 剥き出しの本能 | 中身だけで動いてる | 原始の生態系 |
どっちも**極端に偏った“生き方のメタファー”**なんよ。
- インコは「理性だけ」→空虚で支配的
- ペリカンは「本能だけ」→暴力的で無慈悲
👉 どっちも“人間”とは言えないし、「バランスある生き方」とは違う。
🪶 アオサギだけが“バランスを取り戻そうとする存在”
アオサギは、この両極端な鳥社会の中で唯一、
- 人間の姿を取り戻せる
- 本能で行動せず、誘導と対話を試みる
- ウザいけど、眞人のために動いてる
つまり、**“知性と本能をどっちも持った案内人”**なんよな。

👉 これはまさに、眞人自身の中にある「人間らしさ」の象徴や。
- 喪失の悲しみ(本能)
- それでも進もうとする意志(理性)
アオサギは、“その両方を抱えて進もうとする自分”を導いてくれる存在やったんやない?
✅ 結論:あの世界が「鳥の世界」やった理由
宮崎駿があえて鳥を使ったんは、こういうことやと思う:
「鳥=自由に飛べる存在。でも、飛ぶ先が極端に偏れば、自由はすぐに狂気に変わる」
- インコのように、知性によりすぎれば、偽物になる
- ペリカンのように、本能によりすぎれば、破壊になる
- アオサギのように、両方を持ってこそ、“生きる”ことができる
あの異世界は、「人間とは何か?」を“鳥”に語らせる構造やったんやないか?
🧭 最後に:人間に戻るために、“鳥の世界”を抜けなあかんかった
眞人は、「模倣の知性」も「むき出しの本能」も超えて、
東京へと戻っていった。
つまりこれは、“鳥たちの世界”を抜けて、
「人間」として、「自分」として生きる道に戻ったということやと思う。
これ、ひょっとしたら「ワイらも考え、乗り越えなければいけないもの」なのかもしれんな。
どうやった?今回はワイの足りない頭をフル回転させて、宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」の鳥たちにフォーカスして考察してみたで。ディーキャリア宇都宮オフィスでは、お一人おひとりの障がい特性に合ったセルフケアを見つけるサポートをおこなっとるんやけど、今回みたいな雑談なんかも結構盛り上がるで。随時見学・体験も承っとる。お気軽にご連絡してやで!!
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