【利用者ブログ】常識族
こんにちは、ワークスキルコース利用者のK.E.です。
突然ですが私にはこの世で最も嫌いな言葉があります。それは「常識」です。似たような意味を持つ言葉は大体嫌いです。「当たり前」「それが普通」「マナー」・・・
広辞苑によると常識とは「普通、一般人が持ち、また、持っているべき知識。専門的でない一般知識と共に理解力・判断力・思慮分別などを含む」とあります。
・・・「実に、ふわっとしていて具体的ではないな」、と感じるのは私だけでしょうか?これは常識は時代や場所によって変化するからだと考える事ができます。おなじ日本でも「約80年前はお国の為に命を捨てるのが常識」、「ギリシャへ行けばピースサインは『くたばれ』の意であるのは常識」など、その時・その場所にいる人によって大きく左右される常識を具体的に記載するのは不可能なのです。
さて、世の中には先ほど書いた「常識」をはじめとした言葉を反射的に使用してしまう人が山ほどいます。今回はそんな人々の事を「常識族」と呼びたいと思います。
常識族は自分が住んでいる時代・場所で適用されている常識を、さもそれが絶対的な正解であるかのように振舞います。そして残念なことに、それがなぜ世間に広まっている習慣なのか調べて理解しようともしません。
もちろん、常識族の方が世間一般的な常識を信じて行動するのは何の問題もありません。常識族の問題なところは、圧倒的多数の味方(世間一般的に浸透している常識を信じている常識族たち)がいる事を後ろ盾にして、他者が持つ考えを頭ごなしに否定してしまう事にあります。先ほども述べた通り、現実では時代や場所、個人の思想によって常識は千差万別であることに目を瞑ってしまうのです。しかも常識族の性質上、その否定には何の根拠もない事が多いです(上記の通り、自分の信じる常識の由来を調べずそれが「当たり前」だと決めつけている為)。
理由のない考え方の否定・・・皆さんもそんな「常識族」からの常識の押しつけを感じた事が少なからずあるのではないでしょうか?
不幸なことに、幼少期から「なんで?」が口癖であり、世間一般とはちょっと違う考えを持つことが常であった私は、身内や学生時代の教員のほとんどが常識族の気質を持ち合わせていた為、押しつけを押しつけと感じる事もなく、自分でも訳が分からず傷つく日々を送っていました。自分の考えを否定される事が普通だと洗脳され、感覚が麻痺してしまっていた訳です。
「人それぞれの考えがあってもいいじゃないか」と思えている今の私の場合(4半世紀ちょっとしか経験はないけれども・・・)、言葉悪いですが、そんな常識族である人の中で尊敬に値するような人には一人も会ったことが無いです。常識族はみんな同じ考え方をしていて面白みがなく、毒にも薬にもならない人しかいません。そんな後になって気に留めておく必要のない人に傷つけられるのは非常に損だと思いませんか?
ディーキャリアさんのライフスキルコースには「問題解決」というプログラムがありますが、そのプログラム内で使われている考え方として「自分の問題か?」という考え方があります。変えられるのは自分の事のみであり、他者の事を変える事はできないのは感覚的に理解できると思います。まして、常識族は脳みそが完全に固着しており変化する事はないと思われるので、自分に合う「常識」が浸透しているコミュニティーに身を置くか、自分の考え方を変えていくしかありません。特に、労力が少なく柔軟に対応できそうなのは自分の考え方を変える方法です。自身の精神に害を加えてくる常識族に対する自分の考え方を少し変えるだけで、必要以上に傷つく必要が無くなるかもしません。
その時、その場所でしか通用していない常識に押しつぶされないように、理不尽な刃を向けてくる常識族に上手く対応していきましょう。
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